2-13)F1 Guitar

 
(箱根マツダコレクションのショーケース内)
 バンドの友人、ギタリストKが音楽専門学校ESPのギタークラフトマン課を終了してしばらくたった頃、自分のところに突然裸の(=塗装を剥がした)
ギターボディ

(ランダムスター)
を持ってきて曰わく
「このボディが1個余ってる。なんでもいいから描くなり彫るなりしろ」

 奴は鼻がスイッチになっているミッキーマウス型ギター
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とかを自分の楽しみのためだけに作るような男です。似たようなことを自分にもやれ、好きだろ?ということなのでした。ある意味、自分を芸術家
(! 愛好家か)と見込んでのことです。
「ようし!やってやろうじゃないの、目にもの見せてやる」(!?)
とそこに意気込んだ自分がおりました。

 そのボディは安物で(笑)しかも継いであり、木目を見せるクリア仕上げは論外、描くといってもスペースはハガキ程度です。うう~んん、と考え込みながら全体を眺めていると・・・閃きました。
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F1カーのサイドビュー
 に見えます!真下に突き出している部分はどうする?(自問です)
 そりゃあ・・・馬のマークにするしかないでしょ!(自答です)
 かくしてフェラーリF1をかたどったギターボディの制作が始まったのです。折しもJ・バーナードによる
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美しくも画期的なマシンと速いが止まるマンセルの
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「破滅的」激走
 に心酔していた自分にとって、制作意欲を喚起するに充分な題材といえました。そうと決まればボディをKに送り返し、オリジナルシェイプからほんの少しだけ欠けているインダクションポッドの先端部分および後輪に相当する「突起」の追加(=木片の接着)
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(この部分がちょっと足りなかった)
 と馬のマーク部分の整形(=片側を切削、左右対象に)をやらせました。やな顔一切なし、のKの対応には彼の期待を感じました。
 当初はレリーフ(浮き彫り)として制作していましたが、彫り進んでゆくとボディに充分な厚みがあるため、フォーミュラの細いモノコックならば3次元的表現が可能と判断、途中から一段とリアリティが増しました。
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当然サスアームはなく前輪はノーズに半分食い込んではいましたが、オブジェとしての存在感、リアリティは飛躍的に向上しました。途中ギターとして機能させるためピックアップ部分への加工が必要になった際、Kの都合が悪く彼のギター制作の師匠でもあるベーシスト、H先生(4-0) Giacca di cuoio稿参照)にやってもらうことになり、喫茶店で待ち合わせです。それまでは
「あいつの頼みだからしょうがねえなあ・・・・」
といった今一乗り気でない雰囲気でしたが(笑)ランダムスター用ケースから本体を取り出して見せると・・・
「おっ!?」
と顔色が変わるレベルで態度は一変!がぜん前のめりで、素早く対応して貰いました。訊けば
「・・・生徒たちよりずっと上・・・」
とのお誉めの言葉、
「俺の教えてることなんてできるやつは最初からできる」
とも。以来先生は自分のことを認めてくれています。
 制作中、失策があった場合は当然としても、こうした方が絶対いい(=完成度が上がる)と判った時点で、それまでの作業を半ば打ち消すように、改めてやり直すことがあります。その時の気分について、プロのギター制作者でもある先生との会話・・・
「もう、面倒くさくて・・・嫌で嫌でしょうがないんだけれど・・・」
「そういう時、往々にしてあるんだよねえ」
「気を取り直して、やるしかないと・・・」
「そりゃあ、なんちゅうか・・・『宇宙の意思』だから・・・」(!)
このフレーズが大受けで、以来我々の間だけですが通用してます(笑)
 実はこのころ、まだ

彫刻機
は持っていませんでした。
 完全手彫り?そんなことはなくて(笑)サイドポンツーンとコクピットとの段差は焦げるのを承知でディスクサンダーを、とか前輪とウィングの間はドリルを、といった具合に木工にあるまじき荒技も使いました。また、馬のマークのベース(楯形状部分)には機械的平面が必要ゆえKにルーターで、馬のアウトラインを残しエンドミル加工してもらいました。タイアは真円加工は無理なのでホイールの意匠を省略し、滑かな凹面としてリアリティとデフォルメのバランスを取ったつもりです。Fウィングはそれっぽく見えるという理由で翼端板の大きいハイダウンフォース仕様、モナコ風に。ノーズは制作に入った当初'89年のオリジナルが
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「カモノハシ」風
なのに対し翌年以降は丸みが増します。
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後期型にしました。
 そう、このギター、結構な大作ゆえのプレッシャーもあり途中で、特に仕上がりを左右する塗装が嫌になったりして(笑)休工期間があり、完成まで実に足かけ2年かかったのでした。

 さて問題の塗装です。基本的には普通のギターと同じ、ということは車と同じなのですが、顔を近づけて見る機会が多いので通常ゆず肌なしの鏡面仕上げ、入念な磨きは欠かせません。前述の通り木目は塗りつぶしですが
「ここは削り過ぎた、こっちはもう少し盛ろう」
といった修正のためのパテ(これも車と同じポリパテ)も入っているので下地の調整も必要でした。
 プラサフそして黒、発色のための白、黄、赤と塗り重ねていきます。自動車用スプレーペイントです。
 自分、缶スプレーテクニックにはちと自信があります。最も美しいとされる
「垂れ落ちる寸前の塗膜」
を随意に作り出せる、ということです。その査証というかそれを誇示すべく敢えてですがこのギターのヘッド面、吹きっぱなし(!)です、磨きは入れてません・・・
 と、塗り上がったところを眺めると一つ気になる所が・・・赤黄黒、なにやらドイツ風に見えます。
「イタリアの至宝フェラーリがドイツ野郎風に見えるなんて、許せん!」
せっかく塗り上がっているのに、ネック基部だけですが白としました。フェラーリとドイツ・・・シューマッハーはまだ現れていなかったんですねえ(笑)
 以上でペイントは終了。続いてデカールです。
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タミヤの1/12キット
のものを流用します。もちろんマンセル仕様に。今は亡き恵比寿はミスタークラフトにて簡単に入手。なんと常設されてました。本体はおよそ1/9スケールくらいだったのでさほど違和感なくまとまり・・・というよりバッチリ決まりました!何といっても縮尺違いとはいえ専用品です。加えて前後翼端板にはカーボン地デカールでディテールアップ。タイアは径が違うので G O O D Y E A R と一文字づつ切り貼りしました。あとはクリアをかけ、デカール段差がなくなるまで磨いておしまい!です。
 完成後、ショーギターではないのだ!とばかりに
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実際にライブに使ったりしました。
 残るは・・・ドライバーのサインが入り画竜点睛!のはずだったのですが・・・完成後しばらくした'91年シーズン、当のマンセルはウィリアムズに移籍してしまったのです。

 制作期間同様(笑)長くなったので、今稿はこれにて。以下次週。
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  1. 2013/10/27(日) 09:34:58|
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2-12)F1の思い出:その2

 
(Ooooohp!)
 さて2013日本GP、フェテルが、というかレッドブルが見事なストラテジーでワンツーフィニッシュを決めました。ウェバーはリスク分散の名の下にまたもやワリを喰った形ですが、フェテルが中盤見せた危なっかしい走り(=攻めた)その分だけ前に出た、とも言える訳で流石というほかはありません。
 一方期待通りアロンソ&ライコネンは見せ場は少なかったものの「正しい」ポジションでフィニッシュしてましたね。彼らに前着したグロージャンは予想を超える頑張り。異名返上なるでしょうか。

 さて90年に話を戻すと・・・予選後またピットへ潜入。その年は、翌年の年賀状写真を何とかしよう、がテーマでした。仲間うちでは
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年賀状用のプラック(!)
を仕込んできた人もおりましたが(笑)早々に引き上げました。
 そして翌日決勝、セナの2年連続の(しかも今回は確信犯!)肉弾突撃となった訳ですがそこで、2コーナー最上段席が思わぬ威力を発揮しました。

どのメディアのものをも上回る好アングル!のトップ画像
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(メディアは皆、1コーナーに居たようで・・・)
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それも連写でゲットできました。
実際これを撮った直後、ファインダーをゆっくりと外し・・・
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「これは現実か?」と肉眼で確認したほどの衝撃でした・・・。

 もちろん年賀状に(反響ありました)。オープニングラップ以降も荒れに荒れ、波乱に満ちたレースとなりましたが、大いに楽しめました。
 その反動か翌91年はちょっと「燃え尽き」気分がありました。というのも、あのショット以上の決定的瞬間はもはやあり得ない、撮り得ないのではないか?という感覚、加えてサインも相当集まり「極めちゃった」感があったのでした。

 しかし「F1ギターにマンセルのサインを!」という1大テーマを遂行すべくその本体を携え鈴鹿へ・・・。F1ギターとは・・・?
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 to be continued.

  1. 2013/10/17(木) 21:09:53|
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2-11) F1の思い出

リジェ 001 
(available)
 いよいよ鈴鹿F1日本GPですね!今シーズンは(も、か)まあ一方的な展開でコンペティションとしての興味は今いちなのですが・・・アロンソとライコネンの活躍に期待!です。ヴェッテル(=Vettel=フェテル?)は嫌いではありませんが、その才能の割りには妙に「いい奴」過ぎてもの足りません。ワールドチャンピオンたるものもう少し悪意というか、香ばしく(ⓒ西原理恵子)
あって欲しいと思います。
「あいつは一回追突して泣いている」(@2007年)
それが未だに気に入らない自分でした。

 ご多聞に漏れずスーパーカーブームと同時に'76年

Fisco F1インジャパン
の洗礼を受けた世代として自分は当然(?)F1にも入れ込み、鈴鹿へは最初の'87年から'91年まで連続で行きました。それくらい熱心に通っていると、ただ観戦するのではなくだんだん何らかのテーマを持って見に行くようになっていきました。

 '87年は例のCG'sメンバー7、8人と新幹線で。名古屋で1泊、3日通し券にもかかわらす決勝のみをいちファンとして当たり前に観戦しました。ベルガーによるフェラーリ久々の勝利でしたが予選を見ていなかったので今いち展開が読めず
「次回からは予選も!」
と決めたレースでもありました。早朝場内BGMとしてビートルズが延々流れており、合わせて延々口ずさんでいたら同行の女性陣(後のA夫人、K夫人)に驚かれた、なんてこともありました。
 翌年は「シトローエン大王」ことT氏のBX
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(巷で云われるほど乗り心地は・・・シートは良く、全体に優しい感じの車)
を借りて、サーキット近くの公園駐車場で車中泊でした。この年のパドックはグッドイヤーの作業場のフェンスの設置が「甘く」まんまとパドックに潜入(!)することができました。この時の写真(レンズ付きフィルム!でした)からいかにも観戦客な格好(例えばカバン等)は巡回ガードマンにつまみ出される可能性が高い、ことを学びました。レース後、駐車場を出るのに2時間以上かかったのにも参りました。サーキットに近いほど動きが取れない、ということも学びました。
 翌’89年はエンジンルール変更NA元年。走行データのない各ティームは各セッション精力的にラップを重ね、予選日は最高に楽しめました。
(翌年はデータができたのでしょう、全然走りませんでした・・・)
 前年に味をしめピットに入る気満々の自分たち、ピケ(セナじゃなく!)のサインを貰うべくブラジル国旗と録音ウォークマンまで持ち込みました。その年のピット潜入方法は?というと名付けて
「出待ち作戦」
ピットからの出口前で、F1に興味なさそうな「偉い人」が出てくるのをじっと待ちます。この人は絶対招待だろう、と思しき人に向かって恥を忍んで声をかけ、頭を下げます。
「お帰りですか?よろしかったら本日分のピットパス、頂く訳にはいかないでしょうか?!」
パスが当日分切り離しだったことに加え、若かったからこそできたことと思います。オッサンが近づいて来たら普通身構えますからねえ(笑)
 パスは1枚手に入ればOK。それを使い中に入れば・・・
「おう、よく来た。偉いぞ。」
フェラーリのピット周りには知人が複数(!)その方たちのパスを借りて外で待つ仲間を堂々と招き入れます。回数を重ねれば何人でも入れます(!)
ガードマンによるパスチェックには要注意ですが(笑)実際知人K氏は
「パス貸し出し中」に捕まり、ゲート外までつまみ出されました(!)その後連れ戻したのは言うまでもありませんが。

 アウェイの予選後です。勝負のかかっていないドライバーは早々に引き上げてしまいピケにも会えませんでした。がしかし、ブラジル国旗にはセナのサイン(節操なし!)と
「I must go!」
の肉声をも戴きました。翌日ホントに「行ってしまう」訳ですが(笑)他のドライバーのサインも結構たくさん集まりましたが、より嬉しかったのは
「関係者」のサインでした。サー・ジャック・ブラバムカルロ・キティチェザーレ・フィオリオゴードン・マーレイエーリッヒ・ザコウスキー・・・誰?って感じでしょうか?

 セナ・プロ、シケインでの接触の年、突然表彰台にナニーニが現れ???現場では白けた年でもありました。
 ’90年も楽しめました。郵便局員の旧友Kの機転で取れた席が観戦には絶好の2コーナー最上段。背面が看板です。千載一遇のチャンスと、横断幕を作ることに決めました。どうせなら目立つもの、そしてGPサーカスの人々にアピールするものを!と思案です。
「向こうから見りゃ日本はオリエンタル。日本も中国も同じだろう。オリエンタルイメージのメジャーレースといえば・・・そうだ、マカオGP風味で行こう!」
当時熟読していたカーグラ、書評欄にF1関連の中国語の当て字の話題があったのを思い出し調べると・・・あった!これでしょ。シーツ(寝具)に黒ペンキで書き込み・・・出来上がったのがこれです。
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フェラーリ!
 F1はスポンサー関連には大変シビアなので常設の看板は全て覆われていたこともあり、これは目立ちました。最上段から見おろすと、人々の口が
「ふぇらあり」
と動くのが見て取れて、妙に嬉しかったのをおぼえています。
 その年も車中泊でしたが、自転車を持っていったのは大正解でした。駐車場渋滞を回避すべく決勝日早朝車をインター近くまで移動、そこから自転車でサーキットに向かったのでした。この「自転車作戦」翌年は
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モトコンポ
 に替わったのですが、対向車線を走れる自転車の方が渋滞対策としては優れていたような。疲れますが(笑)
 この時自分が持ち込んだのは旧友Kから借りた安物(失礼)MTB、T氏が年代物の輪行車(=分解組立利便性に配慮したツーリング車)。A氏がちゃんとしたMTB。この時の経験が後の、自分の自転車「ぶり返し」に大きくかかわったと思っています。

長くなったので続きは決勝後に。
  1. 2013/10/12(土) 20:18:15|
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3-3)お台場旧車天国

117 - コピー 
(素敵な・・・)
 たまにはブログらしくタイムリーなことを!と突然思い立ち、先程観てきた「お台場旧車天国」リポートといきましょう。

 昨日は終日雨。自分のかかわる某イベントも苦行を強いられました。
 その会場の賑やかしに知人というか元同僚、自動車関連専門古書店
自動車趣味の店ロンバルディ」代表F氏に出店を依頼。その際
「翌日はお台場のイベント。雨が判っていたら行かんです」
と聞いておりましたが当日、雨中遠来頂き感謝!ということで御礼かたがた出かけることに。

 いつもより若者が多いかな、という気もしましたが依然として中高年主体の客層。日本の自動車趣味の未来は・・・?と暗澹たる気持ちになるのはこの手のイベントの常です(笑)
 まずは自車つながり「Y10生活向上委員会」会長さまのブースへ。ご挨拶、自車の近況報告(?)もそこそこに「周回」へ・・・2輪の展示、出店が思いのほか多く、楽しめました。
 基本的にはオリジナル(=ノーマル)志向のピカピカレストア車主体ですが、当然カスタム車も。その改造も当時らしさを反映したものですがそれでも、微妙に進化が見られました。改造トレンドの「漸進的」な「進歩」ですね。そんな中、希少車を発見!
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Van Veen!
 ’70年代中期、世界初のロータリーエンジン搭載の市販車です。こういうイベント会場はイラスト資料撮影には向かないので自分、ほとんど撮らないのですが思わずシャッターを押しました。実車初めて見ました。
 その巨体にも驚愕。身長180㎝以上ないと乗れないでしょう。完成したエンジンに合わせ各部をレイアウトしたらこうなった・・・そんなところでしょうか。実際燃料タンクの造形、エンジン張り出し部の融合具合、角断面のFフォーク等を含め各部整合性は当時とは思えないテクニカルなもの。
「本物のスーパーバイクを創ってやる!」
という創り手の意気込みを感じました。

 歩いて行くと見慣れた後ろ姿が。昨日もMCを含めイベントの仕切りを務めて頂いたY氏です。氏の会社であるGulf Oil 販売元の出店ブースでした。
「連日のイベント、お疲れ様です!」
「あら!何、個人的来場?」
「まあ、昨日の本屋さんに挨拶に・・・」
「そう、それはそれは。ところでこのイベント、初めてなんだってねえ」
「出版社主体としてはそうでしょうね」
「だから不手際ってこともないんだろうけど、関係者駐車場が足りなくなっちゃって・・・民間のを使って立て替えてくれてんだよ、ウチは3台分」
「そりゃすごい、さすが大きいバックがあると違いますねえ」
「やっぱりイベントってのは大変てことだよ・・・」
 そこを辞しロンバルディ・ブースへ。
「お疲れ様です。昨日はありがとうございました!」
「おっ?今日も仕事?」
「いんやご挨拶に。昨日は売れたんでしょうか?」
「まあ全然ダメってことはなかったですよ」
「そりゃよかった。昨日は怖くて(笑)訊けなかった・・・」
何気に「店内」物色すると・・・
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こんな本が!
思わず財布を取り出してしまいました。
「ありがとうございます。最近は『もう卒業した』くらい言ってたけれど・・・
 まだ好きだったんですねえ」
「・・・ええまあ(汗)ブログ用・・・かな?」
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この頁に惹かれました。
・・・ということで、これらについてはそのうちに!
  1. 2013/10/06(日) 18:29:00|
  2. Moto
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