1-1) カーグラフィック・ファンクラブ?

  
(available・・・?)
 しばらく革ジャン話が続きましたが、それらについてあまり興味のない(泣)
 ZAGATOR氏(=当ブログの有力フォロワー)より

 自由が丘時代(=1-0 へのTooru.A 様コメント参照)のエピソードを!

 という強いリクエストがあり、その頃のお話をすることにしましょう。
 きっかけはCar Graphic 80年12月号
1980-12月号
の巻末近くの色つきページ 「読者のシート」に載った

 自由が丘にバックナンバーが揃いで置いてある喫茶店がオープン

 との情報でした。当時都内在住、既にカーグラ信者を自認していた自分
「これは行かずばなるまい!」
と単騎当時の愛車ヤマハ・トレールDT125M
DT.png
(万沢康夫氏推奨!モノクロス・サスペンション最初期型)
 で通うようになったのでした。

 当時「最も熟読される自動車雑誌」だったであろう
( ↑ そんなデータはない・・・)
同誌への告知の効果は絶大で、都内はもちろん全国とはいかないまでも、広く首都圏から
「我こそはカーグラの熱心な読者、その代表である・・・」
と自負する面々が集結し、夜な夜な熱いクルマ談義、まさに口角泡って感じで「やりあって」おりました。
しかもその蘊蓄合戦(ⓒTooru.A)、場所を深夜のファミレスに移した「延長戦」もしばしば繰り広げられていたのでした。

 自分も「お小遣い」の範囲内で(笑)週いっぺんは顔を出していた所、とりあえず常連として認知され店主Sさんから声がかかりました。
「今度うちの常連さんでクラブを作ることになりました。君もぜひ・・・」
 そして生まれたのが自由が丘「ショップinもみの木」
(=パティオに木があるビル、現存)2Fの喫茶店

 coffee space GRAPHICS 

 を母体とする、狂信的カーグラ信者集団

 motor enthusiasts CG's

 でした。発足に際して
「カーグラを全肯定するような、単なるファンクラブにはしない」
 といった意志表明というか条文(?)もあったように記憶しています。
 これは同誌の特色であった、

 日本の自動車および自動車ジャーナリズム全般への「批判精神」

 を受けてのもので、そこに心酔していた者ならでは、と言えるでしょう。
 逆に今思えば同誌も我々も、欧州産であればオールOKだったかも(笑)
 ネーミングには当時Night fever
がヒットしていたビージーズの影響も?
 というのも同誌の俗称、当時は「カーグラ」が一般的で「シージー」っていうのはほとんど聞きませんでしたから。
 ちなみに当時の表記はスラッシュの入る「C/G」 が一般的、エンスージャストなる語も「外で」使いだしたのは我々が最初、故ナベゾ画伯が「エンスー」と言い出すずっと前(笑)でした。
 また全巻揃いが謳い文句だったにもかかわらず、開店当初はすべて揃ってはいなかったそうです。自分はあまり古い号には興味なかったので知りませんでしたが。

 クラブ発足前にアンケートを書きました。設問の一つに、カーグラ読者歴がありました。自分は6年と書きましたが、これは 1年ほどサバを読んでまして(笑)実際に最初に買ったC/Gはこれ
76-4.jpg 
ですが、既に古本屋巡り(=バックナンバー集め)は開始しており、’75年以降はとりあえず揃ってはいました。この読者歴の記載は、

 古いファンほど偉い

 ということを現わしていて、クラブ全体の空気としても「○○をよく知っている方が偉い!」というのはあったと思います(笑)

 そして事前アンケートは顔写真入り「メンバーズ・レジスター」となって配られました。その小冊子状のリスト、 CG's会報vol.0
vol0.jpg
 はこのあと、'83年3月のvol.18まで「不定期」刊行される同会報
揃い
その原型で、白黒印刷、中綴じの完全手作り。表紙は黒タイル貼りの店内イメージを踏襲、例の「アーパッドミディアム」のロゴはインレタを駆使、その他の文字は、ワープロ普及以前ゆえ全て手書き!
頁
というものでした。 特筆すべきは、この会報には「fron C/G」という頁が設けられている点で、 Vol.0にはかの小林彰太郎御大の寄稿
コバショー
があり、その後も編集部員持ち回りで毎回原稿を戴くなど、C/G編集部とコンタクトはありました。本家本元の運営するCGクラブに先立つ、いわば公認クラブだったといえます。 
 創立メンバーは、とりあえず50名で始めようという会長S氏の意図があったのでしょう、各人50までの会員番号が振られ、自分は34、それを見て
「ティレルの6輪車ね」
P34.png
と思ったものです(笑)当時は一時が万事そんな感じでした(爆)
 
 メンバーにはモータージャーナリストの中村孝仁氏、前述のWorld Famous Nikon F Collector S氏をはじめ、等々力のスピードショップLagspeed主宰、元グランドオート(=レースメカ)O氏、N自動車で辣腕をふるったのち文筆家ともなった板谷熊太郎ことM氏
テクニカルイラストレーターの大内誠氏、著名指揮者のご子息I氏、某ファミレス店長候補にしてのちの
北斗
中華料理店グループ代表K氏、名門ブガティック
b_20130407115806.png
で修行、渡英帰国後ブレシアで活躍ののちくるま工房やまもとを主宰する山本氏・・・と、そうそうたる面々。当然自動車関係者も多くのちに自動車メーカーに入った学生も多数いました。
 そう、件の会報の制作等を担当する「鉄砲玉」クラスは学生が主体。それも近隣と言える武蔵工業大学の学生が絶対多数を占めていました。
 ちなみに自分はメンバー最年少、4輪免許取得年齢にも達しない高校生(!)でした。 このクラブはその後メンバー募集をしなかったので、現在も交流が続くこの仲間うちで自分の最年少は未だ変わりません。


 トップ画像は、その中綴じ会報のピンナッブ()用に描いたParilla Gran Sport
 高校時代はほとんど着彩はやらず白黒のみ、画材はサインペンで健全なものと先が傷んだもの2本を使い分けてました。これは確か下書きなしの一発描き、写真はライダースクラブから、実車は当時見たことはありませんでした。
 ちなみにライダースクラブ

RC.png  
(この号に前述万沢氏によるDT125M激賞インプレの影響で・・・)

とは「2輪のCG」を目指し創刊された「高級誌」でカーグラと並行購読は高校生には経済的にきつかったのを思い出します。


 なにぶん当時自分は「オミソ」に近い状態だったので(笑)
 知らなかったこと、知らされなかったこと、わからなかったこと等多々あり(汗)上記に事実誤認等あったかもしれません。

 関係者の皆様、あのことを書いてくれ、とかあれを書き忘れているぞ、とかそれは違うぞ、とかご意見ご指摘ご鞭撻よろしくお願い致します。

 とZAGATORさま、いかがだったでしょうか?反響があれば続編も・・・?


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  1. 2013/03/31(日) 20:15:39|
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