3-1) Italian Job

 
(available only Data)
 ウンベルト「チリッロ」デル・ヴァッキオ。
 マングスタ以前のデ・トマゾ、レーシングカーからストリートカーまで
Dtrsport2000ghiac.jpg  fq.png
5000.png  801.png
cat.png  mangsata.jpg dv.png
(この右端の人物こそデル・ヴァッキオでは・・・?)
 たった一人で全てを創り出し初期のデ・トマゾを支えた辣腕エンジニアです。文字通り「知られざる天才」であった彼の存在を、世界に先がけ「発掘」したのはかの沢村慎太朗氏、前稿出典
「スーパーカー誕生」
 においてでした。全てを行ったと伝えられる彼は、エンジンのチューニングも 大口径キャブレター、高圧縮比、高回転化・・・ といった

 イタリアの伝統的な手法

 で行ったようです。それは「スーパーカー誕生」
valler.png
ヴァッレルンガ
 項からも垣間見えます。曰わく
「・・・高回転重視で、ストップアンドゴーでは吹き返しが・・・」
あのケント・ユニットをストリートカーでそこまで・・・と感じたのは自分だけではないでしょう。

 それでは、マングスタを世に送り出したのちの彼の足跡を、前稿同様
「ファンタジーの世界」で追ってみましょう。

 「イタリアンジョブ」をご存じでしょうか。 映画


「ミニミニ大作戦」
 の原題でもあるこの語、イタリア人の仕事、ということで

 いい加減、早いがずさん、詰めが甘い・・・

 といった揶揄いわばマイナスイメージの語なのですが自分は言下に

 その行動や選択の根底に確固たる美意識があり、少々の手間や込み入った技術が必要でもメリットがあるなら敢えてそれをやる

 というニュアンスが込められているように感じます。意あって力足らずというか(笑)結果としてそうなってしまった、という部分も多分にありそうで・・・
それらは、かの地から生み出される機械の魅力にもつながる感性ではないでしょうか。

 そしてデル・ヴァッキオは正にそういうセンスのエンジニアだったように自分は感じています。
 マングスタをもって、ランボルギーニ(ミウラ)に次ぐスーパーカー・メーカーとして名乗りを上げたデ・トマゾ。機を見るに敏な経営者としての側面も持つ総帥アレッサンドロ・デ・トマゾは次なる一手として画期的な「量産スーパーカー」パンテーラ・プロジェクトを発動します。それまでのマニファクチュア
(工場制手工業)レベルではなく、提携先は大フォードです。多くの人間が関わるビッグプロジェクト、そのリーダーとしては不向きとしてデ・トマゾはデル・ヴァッキオをプロジェクトから外しました。
(デル・ヴァッキオがそれを不満に思ったかは定かではありませんが・・・)
 そして彼はその後モーターサイクルメーカーに移籍し(させられ?)ました。これも望むことだったかは不明ですが・・・。

 経営者たるデ・トマゾはその時既にMoto GuzziとBenelliの二つの2輪メーカーを傘下に納めていました。

 デル・ヴァッキオが2輪の、車体関係にどれだけ関与した(できた)かも全くの謎ですが・・・
 モトグッツィには他に類のない縦置き90°Vツイン
mg_20130616122908.png
(+ シャフトドライブ)
 という確固たるエンジン形式とそれに対する安定した支持があり、その構成要素に関与する余地、変える必然性や付加するものはなかったはずです。
 しかし唯一、「インテグラル・ブレーキ」なる特異なシステムがありました。それはペダル操作前後連動の、同車独自の「安楽装備」なのですが、彼の作品かも・・・(?)と思わせる独創性(と「2輪音痴」っぷり、それゆえ不評・・・)は感じます。

 対してベネッリはかつてGPでならした名門とはいえ、ストリートバイクは非常にコンベンショナルで
bn.png
(650 トーネイドー。トルナードか)
 正に日の出の勢いであったジャパニーズバイクの前に風前の灯火、といった状態にまで追い込まれていました。

 そこでベネッリが打った窮余の策が日本車のコピー(!)でした。

 市場に自社にはない優れた商品があるならば、その商品と同等のものを用意する。さすれば同じ土俵に立てよう。

という判断だったのでしょう。 そしてこの判断を下せたのはデ・トマゾしかいないはず、です。

 彼はまず手始めに当時最新のコンパクトな4気筒
500.png
ホンダCB500
 のコピーを命じました。
 その時点でデ・トマゾの慧眼は、この500フォア(=1シリンダー125㏄)の拡張性を確信していたのでしょう。

 それををベースに2気筒を追加すれば750㏄(=当時の最大排気量)。
市販車初のシックス
6.png
(=Sei)
 をニューシリーズの旗艦として投入、日本車に一泡吹かせてやるのだ!

 と。 それにはそのコンパクトさが好都合でした。
 そして次なる一手は500を縮小した、これも初の250フォア
クアトロ
(=Quattro)。
ベネッリは実際に、GPにおける
2504.png 
250フォア 
のパイオニアです。そしてこのマルチシリンダーラインナップは
504.png
ベネッリ
G4.png mv4.png  
   ジレッラ → MVアグスタ、そして ホンダ・・・
h6.png 
(6気筒!RC166)
 といった60年代のGPへのオマージュと捉えることもできます。
 デ・トマゾは多くの文献で、特に2輪関連では「悪役」扱いなのですが、一連のマルチシリンダー攻勢は彼の純粋な(?)「エンスージャズムの発露」なのでは、と感じます。

 それは、「してやったり」感として画像からも窺えます。
deto.png
(今で言う「ドヤ顔」ですね!)
 エンジンのコピーは、かつては散見されました。
tc_20130616114828.png
アルファ・ツインカムをいすゞがコピー
gtr.png
ベレットに・・・とか、2輪ではホンダCB72
724.png
をラヴェルダが・・・
 sfn.png
 といった例がありますが、そんなことを知るはずのない子供だった自分は、創刊間もない
mr.png
モトライダー誌
 で「・・・ベネッリはCB500のコピー・・・」と読んで、強烈な違和感を覚えたものです。
「なんだよ、コピーって・・・?」
思えば現在の「3Dコピー」のようなものを連想していた訳ですが(笑)
 現車を入手分解採寸解析し、同等のものを作り上げるには同等の技術が要る・・・なんてことは当時の自分には理解の外でした。

 他社エンジンのコピー、名のある技術者にとっては、ある意味屈辱的なことではなかったか・・・自分は想像します。
 そして当時ベネッリには、正に名のある設計者ピエロ・プラボリーニがいたのです。彼、プラボリーニがこのマルチシリンダー・シリーズを設計
(=コピー!)した、とする文献もありますが、自分には信じられません。
 前述の屈辱感に加え、それ以前の作品(トーネイドー等ストリートバイク)の根底に流れる「保守性」とは相容れない、と感じるからです。

 自分は「スーパーカー誕生」冒頭デル・ヴァッキオのくだりを読んで
「この、ベネッリの一連のコピー再設計こそデル・ヴァッキオの仕事だったに違いない!」
直感的にそう思いました。

 最新の500フォアをコピー。そのコンパクトさを利して2気筒追加してもなお(相対的に)小さい、当時の最大排気量である
750シックス
ij.png
 を幅を詰めるべく、本来は真横に突き出すジェネレータ類を「背負い込む」形に改めたうえで実現。
 返す刀でその縮小コピー、250フォアをもリリース・・・
 矢継ぎ早に繰り出される凝った、熱い設計・・・イタリアンジョブという表現がぴったりだと思いませんか?

 さて750Seiと250Quattroの乗り味は、というと・・・
 これまた乗ったことはありません(だからファンタジーなのです)が2輪各誌、Web上を含め多くの文章が異口同音に絶賛するのがその快音!です。「音」が最初にくる、いかにも感覚性能を重視するイタリアンらしいと思いませんか?ほかに誉める所がなかったのかもしれませんが(笑)

 Seiは大排気量ゆえ出力的には無理していませんが250の方は相当のハイチューンのようです。圧縮比は驚異的な11.5です。
 想像するに、シリンダー当たり65ccに満たない小排気量ゆえ試作段階では思いのほかパワーが出なかったのではないでしょうか。自分のつたない250フォアの経験からもパンチ不足は否めなかったはずです。
「こんなはずでは・・・」
と、それを補うべく段階的に「チューンナッブ」していったら、こんな圧縮比になってしまった・・・が真相なのでは?と思っています。同様の理由で冷却も相当厳しいらしく、あるインプレッションでは
「・・・オープンロードでは非常に調子良いが、市街地でストップアンドゴーを繰り返すとたちまち油圧警告灯が点き、不安定に・・・」
とありました。
 油圧・・・ということはおそらく、油温上昇によるオイル粘度低下、と思われます。察するに、本来オイルクーラーが必要なくらいのハイチューンだった・・・ということなのでしょう。

 イタリアンエンジンは一般的に油量は多目です。彼らは2輪も4輪もチューニングには大きなサンプ
op - コピー
(sump=オイルパン)
 が大好きです。だがその備えのない250Quattro・・・
「日本車の真似をしたら油量が足りなかった」
設計者は言うかもしれません(笑)
 そして上記市街地のくだりは、正に前述ヴァッレルンガと符合する過激さです。その熱いチューニング魂とトーネイドーの佇まいはどうしても自分の中で合致しないのです・・・ということで、

 全ては、デ・トマゾのパッションにデル・ヴァッキオが応え、生まれた
「イタリアンジョブ」だった

と、信じたい自分なのでありました。


 トップ画像は前稿トップ画像の完成後。ビフォア・アフターということで(笑)画面、緑色は「ベース色」を残しているのでした。これを描いているとき、ミウラの中にコレ
gtv.jpg 
(GTV)
 が「入っている!」と感じたものです。
 この絵は某ラギッドファッション雑誌の募集に応え、結果的に「差し上げて」しまったもので、データでしか残っていません。
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  1. 2013/06/16(日) 13:54:29|
  2. Moto
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:3
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コメント

コメント失礼します。

ベネリ、モトビ、モルビデリの一ファンです。大変興味深い記事でした。ベネリの日本車コピーにピエロ氏が関わったという事に疑問を抱いておりましたが、成る程、そういう推測も出来るのか!?と勉強になりました。海外のベネリファンに言わせると'ベネリは戦前からマルチを作っていたんだぞ!ホンダとは歴史が違う!何で日本車のコピーって言われなきゃならないんだ!'と言う方もおります。全面的には同意しかねますが、この気持ちはわからなくはないです。それでも日本車のコピーという事に間違いないですが・・・。駄文失礼しました。
  1. 2014/02/02(日) 20:33:55 |
  2. URL |
  3. Paso #-
  4. [ 編集 ]

Re: コメント失礼します。

コメントありがとうございます!
状況証拠とも言えない些細な事象の上に、思い入れと思い込みを積み上げた、憶測に近い文章ですが(笑)
車に造り手の意図、人となりが色濃く反映した時代ならではの楽しい仮説、
結構いい線ついているのでは?とも思っていたので・・・リアクションは大変嬉しいです!

> ベネリ、モトビ、モルビデリの一ファンです。大変興味深い記事でした。

ましてやマニアの方からお誉め(?)励みになります。
今後も毎週末更新続けていきます。ご来訪お待ちしております。

  1. 2014/02/04(火) 04:03:35 |
  2. URL |
  3. 十字野郎 #-
  4. [ 編集 ]

返信ありがとうございます。どれも興味深い記事で大変面白いです。特にマグネシウムの記事、これは勉強になりました。アルファロメオも大好きなので、参考になります。私もブログをやっておりまして・・・。拙い内容ですが、見ていただけますと幸いです。http://ro1111.exblog.jp
  1. 2014/02/05(水) 05:43:54 |
  2. URL |
  3. PASO #-
  4. [ 編集 ]

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