2-11) F1の思い出

リジェ 001 
(available)
 いよいよ鈴鹿F1日本GPですね!今シーズンは(も、か)まあ一方的な展開でコンペティションとしての興味は今いちなのですが・・・アロンソとライコネンの活躍に期待!です。ヴェッテル(=Vettel=フェテル?)は嫌いではありませんが、その才能の割りには妙に「いい奴」過ぎてもの足りません。ワールドチャンピオンたるものもう少し悪意というか、香ばしく(ⓒ西原理恵子)
あって欲しいと思います。
「あいつは一回追突して泣いている」(@2007年)
それが未だに気に入らない自分でした。

 ご多聞に漏れずスーパーカーブームと同時に'76年

Fisco F1インジャパン
の洗礼を受けた世代として自分は当然(?)F1にも入れ込み、鈴鹿へは最初の'87年から'91年まで連続で行きました。それくらい熱心に通っていると、ただ観戦するのではなくだんだん何らかのテーマを持って見に行くようになっていきました。

 '87年は例のCG'sメンバー7、8人と新幹線で。名古屋で1泊、3日通し券にもかかわらす決勝のみをいちファンとして当たり前に観戦しました。ベルガーによるフェラーリ久々の勝利でしたが予選を見ていなかったので今いち展開が読めず
「次回からは予選も!」
と決めたレースでもありました。早朝場内BGMとしてビートルズが延々流れており、合わせて延々口ずさんでいたら同行の女性陣(後のA夫人、K夫人)に驚かれた、なんてこともありました。
 翌年は「シトローエン大王」ことT氏のBX
bx.png
(巷で云われるほど乗り心地は・・・シートは良く、全体に優しい感じの車)
を借りて、サーキット近くの公園駐車場で車中泊でした。この年のパドックはグッドイヤーの作業場のフェンスの設置が「甘く」まんまとパドックに潜入(!)することができました。この時の写真(レンズ付きフィルム!でした)からいかにも観戦客な格好(例えばカバン等)は巡回ガードマンにつまみ出される可能性が高い、ことを学びました。レース後、駐車場を出るのに2時間以上かかったのにも参りました。サーキットに近いほど動きが取れない、ということも学びました。
 翌’89年はエンジンルール変更NA元年。走行データのない各ティームは各セッション精力的にラップを重ね、予選日は最高に楽しめました。
(翌年はデータができたのでしょう、全然走りませんでした・・・)
 前年に味をしめピットに入る気満々の自分たち、ピケ(セナじゃなく!)のサインを貰うべくブラジル国旗と録音ウォークマンまで持ち込みました。その年のピット潜入方法は?というと名付けて
「出待ち作戦」
ピットからの出口前で、F1に興味なさそうな「偉い人」が出てくるのをじっと待ちます。この人は絶対招待だろう、と思しき人に向かって恥を忍んで声をかけ、頭を下げます。
「お帰りですか?よろしかったら本日分のピットパス、頂く訳にはいかないでしょうか?!」
パスが当日分切り離しだったことに加え、若かったからこそできたことと思います。オッサンが近づいて来たら普通身構えますからねえ(笑)
 パスは1枚手に入ればOK。それを使い中に入れば・・・
「おう、よく来た。偉いぞ。」
フェラーリのピット周りには知人が複数(!)その方たちのパスを借りて外で待つ仲間を堂々と招き入れます。回数を重ねれば何人でも入れます(!)
ガードマンによるパスチェックには要注意ですが(笑)実際知人K氏は
「パス貸し出し中」に捕まり、ゲート外までつまみ出されました(!)その後連れ戻したのは言うまでもありませんが。

 アウェイの予選後です。勝負のかかっていないドライバーは早々に引き上げてしまいピケにも会えませんでした。がしかし、ブラジル国旗にはセナのサイン(節操なし!)と
「I must go!」
の肉声をも戴きました。翌日ホントに「行ってしまう」訳ですが(笑)他のドライバーのサインも結構たくさん集まりましたが、より嬉しかったのは
「関係者」のサインでした。サー・ジャック・ブラバムカルロ・キティチェザーレ・フィオリオゴードン・マーレイエーリッヒ・ザコウスキー・・・誰?って感じでしょうか?

 セナ・プロ、シケインでの接触の年、突然表彰台にナニーニが現れ???現場では白けた年でもありました。
 ’90年も楽しめました。郵便局員の旧友Kの機転で取れた席が観戦には絶好の2コーナー最上段。背面が看板です。千載一遇のチャンスと、横断幕を作ることに決めました。どうせなら目立つもの、そしてGPサーカスの人々にアピールするものを!と思案です。
「向こうから見りゃ日本はオリエンタル。日本も中国も同じだろう。オリエンタルイメージのメジャーレースといえば・・・そうだ、マカオGP風味で行こう!」
当時熟読していたカーグラ、書評欄にF1関連の中国語の当て字の話題があったのを思い出し調べると・・・あった!これでしょ。シーツ(寝具)に黒ペンキで書き込み・・・出来上がったのがこれです。
 f.jpg
フェラーリ!
 F1はスポンサー関連には大変シビアなので常設の看板は全て覆われていたこともあり、これは目立ちました。最上段から見おろすと、人々の口が
「ふぇらあり」
と動くのが見て取れて、妙に嬉しかったのをおぼえています。
 その年も車中泊でしたが、自転車を持っていったのは大正解でした。駐車場渋滞を回避すべく決勝日早朝車をインター近くまで移動、そこから自転車でサーキットに向かったのでした。この「自転車作戦」翌年は
mtcp.png
モトコンポ
 に替わったのですが、対向車線を走れる自転車の方が渋滞対策としては優れていたような。疲れますが(笑)
 この時自分が持ち込んだのは旧友Kから借りた安物(失礼)MTB、T氏が年代物の輪行車(=分解組立利便性に配慮したツーリング車)。A氏がちゃんとしたMTB。この時の経験が後の、自分の自転車「ぶり返し」に大きくかかわったと思っています。

長くなったので続きは決勝後に。
スポンサーサイト
  1. 2013/10/12(土) 20:18:15|
  2. Illustration&Work
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<2-12)F1の思い出:その2 | ホーム | 3-3)お台場旧車天国>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://italiancarlover.blog.fc2.com/tb.php/42-431d47a0
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)